Back to Archives
Session 5
稲谷 龍彦
京都大学大学院 法学研究科 教授
小松 理虔
地域活動家
寺井 正幸
株式会社ごみの学校代表取締役
水内 智英
京都工芸繊維大学 未来デザイン・工学機構 准教授
セッション5「『人間以後』の風土におけるガバナンスと人間の介入可能性」では、登壇者らの地域での実践や法制度をめぐる語りを手がかりに、「人間以後」の風土において、人間が人間以外の存在と関わり合いながら、いかに介入し、ガバナンスを編み直していけるのかが問い直されました。
稲谷龍彦氏(京都大学)は、まず、近代以降の「法」が、理性的人間をモデルとした普遍的かつ固定的なルールによって社会を統治しようとしてきた点を確認しました。しかし、グローバル化や科学技術の急速な進展、環境問題などによって世界の不確実性が高まるなかで、そうした前提そのものが機能不全に陥っていると指摘します。
稲谷氏が提起したのは、あらかじめ「あるべき姿」を定めて上から押し付けるのではなく、それぞれの「ありたい姿」に応じて法やシステムを調整し続ける「アジャイル・ガバナンス」という考え方でした。その中核にあるのが、「ポリフォニック(多声的)な統治システム」です。一見するとエラーや逸脱に見える出来事を排除するのではなく、フィードバックとして取り込み、集団的な検証と改善を通じて制度を更新していく。そうした動的なプロセスこそが、予測不可能な世界において社会の適応力を支えると語られました。

稲谷 龍彦氏
小松理虔氏(地域活動家)は、原発事故後の福島県いわき市での活動を通じて、専門家や制度の外側から立ち上がる知のあり方に向き合ってきました。小松氏は、これまでの自身の実践を「素人の在野の野良の現場からのホニャララ」と言い表します。科学者でも漁師でもない立場から、暮らしに関わる魚の汚染を調べる過程で、生態や漁法、調理へと知が連なり、生活の中からサイエンスが立ち上がっていった経験が共有されました。
こうした経験を踏まえ、小松氏は、社会課題を一部の「当事者」や専門家に委ねるのではなく、外部の人々も「ことを共にする者=共事者(きょうじしゃ)」として関わる可能性を示します。共事者とは、強い責任主体として問題を引き受ける存在ではなく、個人的な好奇心や違和感を起点に、ゆるやかに、しかし継続的に関わり続ける存在です。小松氏自身は、こうした関わり方を、実践を通じて他者や環境との関係を編み直していくプロセスとして語りました。
この「共事者」という視点は、人間を一方的な「統治者」としてではなく、社会や環境を構成する「関係性の一部」として捉え直す可能性を含んでいます。当事者性の範囲を、目の前にいる人々だけでなく、死者や自然、未来の世代にまで広げて考えること。予測不可能な感情や違和感を排除するのではなく、調整のきっかけとして取り込む「調律」と「応答」の姿勢が、社会のしなやかな持続性を支える視点として示唆されました。

小松 理虔氏
寺井正幸氏(株式会社ごみの学校)は、産業廃棄物処理の現場で長年実務に携わってきた経験から、社会課題の解決は技術や制度の更新だけでは完結せず、それを使う人々の認識や行動を関係を結び直さなければ現場には根づかないという実感を提示しました。
その具体的な実践として、寺井氏は「めぐる環(わ)交換市」や「リペアカフェ」といった、市民の自発性に開かれたメディア的な場を継続的にひらき、修理や物々交換を媒介に、世代や立場を越えた関係性や暮らしの文化を亀岡の地域の中に取り戻そうと試みてきました。
亀岡市でも、住民による保津川の有志の清掃活動を契機としたレジ袋提供禁止条例の制定や紙おむつリサイクルなど技術的取り組みが進む一方で、異なるセクターが協働し、子どもでも参加できる語りや体験を通じて循環の価値を共有する場づくりが重ねられています。寺井氏はこうした技術・制度と市民の感覚や慣習とのあいだをつなぐ「間」の領域、すなわち、メディアやイベントなどを通して、人々が循環の考え方や意味が実感できる場をいかにつくるかが、循環を暮らしの中に根づかせるうえで重要であると述べます。人々の行動は、技術やビジネスモデルによって一方的に規定されるわけではありません。むしろ、具体的な体験や物理的な媒介を通じた、身体的な実感が得られる環境を整え、知識が行動につながる回路を育むことが、地域で循環を定着させるために必要であると寺井氏は主張しました。

寺井 正幸氏
ディスカッションでは、社会を動かす「正しさ」は、あらかじめ制度や理念として定められるものなのか、それとも人々の実践や関係の中から立ち上がってくるものなのか、という問いが、三者の発言を交差させながら浮かび上がりました。ファシリテーターの水内智英氏(京都工芸繊維大学)の問いを受け、稲谷氏は、小松氏の実践に強い親和性を感じた理由として、近代法が前提としてきた「普遍的で絶対的な正しさ」への違和感を挙げます。生活者や現場の感覚が制度の外部にとどまったままでは法やガバナンスは十分に機能せず、むしろ制度側がそうした感覚に寄り添いながら取り込んでいくことで、制度そのものも更新されうるのではないかという問いが共有されました。
この抽象的な問いに具体的な輪郭を与えたのが小松氏と寺井氏の現場での実践についての語りです。両氏は、専門知識や理念を一方的に伝えるのではなく、まずは人々を体験や関わりの中に招き入れ、感覚的に理解できる入口を作ることの重要性を述べます。小松氏は、触れにくいテーマでも「0.1でも持ち帰ってもらう」入口をつくり、体験を通して関心の輪を広げることの必要性を示します。例えば、福島の現場では、安全性や政治的な課題が複雑で直接語ることが難しいテーマでも、実際に食を通して関わる体験を提供することで、無関心層が自ら関わり始める入口が作れると語っています。寺井氏もまた、ゴミ分別や循環の現場で、言葉による説明よりも、体験を通じて感覚的に理解が生まれることを強調しました。両者の共通認識として、最初の一歩を許容し、その後の深まりは各自に委ねるプロセスが、当事者性や共事者性を広げていく契機となる可能性が示唆されました。
こうした現場の実践からの視座を踏まえ、稲谷氏は、個人の好奇心や探索から始まる行為こそが民主的意思決定で歓迎されるべきであり、その結果を持ち寄り調整や妥協を重ねながら前進するプロセス自体が、固定的ルールによる統治に代わる新しいガバナンスの核になり得ると提示しました。アクティビズムと制度、感覚と法、実践とガバナンス。これらは対立するものではなく、関係の中で相互に影響を与えながら更新され続ける、新たな統治像への視野を広げていきました。

大きな景色を眺めていると思っていたところ、途中で視点がふいにズームアップし、自分のしていることに焦点が当たる。そこでハッとしたあと、もう一度引いて世界を見渡してみると、同じはずの景色のなかにこれまで見えていなかった新しい意味や重なりが立ち上がっている。本セッションは、そのような感覚をカンファレンス参加者にもたらす時間でした。
まず印象に残ったのは、小松理虔さんが語った「科学者だけがサイエンスを司っているわけではない」という言葉でした。そこには、知やサイエンスは、専門家が一方的に与えるものではなく、現場での行動や試行錯誤、身体的な実践のなかからも生まれていることが端的に示されています。科学的な「事実」は現実の一つの側面を捉えたものにすぎませんが、私たちはしばしば、それを現実のすべてであるかのように受け止めてしまいます。この言葉に触れたとき、偏った「正しさ」のようなものによって形作られてきた近代的な感覚が、心理的にも身体的にも静かに解けていくように感じられました。
さらに、稲谷さんは、地球に存在する人間同士、あるいは人間以外の存在との関係性がある種合成的に結びついており、だからこそ思いがけないエラーが生じ得る不確実性を併せ持っていると示しました。この見方は、フェミニスト科学哲学者であるドナ・ハラウェイが語る「トラブルと共にある」という構え––– 私たち人間は傷ついた惑星に住んでおり、その無数の傷と人間は切っても切り離せない関係性にあるという状況を受け止めた上で、非人間も含めた他者といかに「共につくる (making-with)」かを模索する姿勢・行為–––を貫く重要性とも呼応しています。
法の文脈でも、稲谷さんは、私たちが直面する危機を即座に(主に技術の力)で解決しようとするのではなく、私たちの倫理的直感から大きく外れない範囲で「トラブル」から目を背けず、生産的な妥協や調整を重ねることが求められると指摘しました。その範囲自体も、広くは社会や文化、狭くは地域や当事者間での交渉を通じて都度形作られていきます。現場での対話を通して、他者や人間以外の挙動を手がかりに関係のあり方を繰り返し確かめ直していくといった集団的な営みが不可欠だと語っています。
こうした不確実性を前提に、判断を更新していくという姿勢は、このセッションを通じて随所に見て取れました。それは単なる意思決定の方法論ではなく、聞いている側も含めた場へのケアとして作用し、結論を急がず、迷いを排除しないことを認めるものです。その前提で語られる言葉には、考え続けてよいという許可が含まれており、この場特有の安心感を生んでいたように思えました。また、判断や思考が個人の内側だけで完結するものではなく、関係性のなかで揺れ動き、編み直されていくものとして語られていたからこそ、この安心感が生まれていたのかもしれません。セッションで3者の登壇者から語られた実践のプロセスもまた、そうした関係性のなかで判断を更新し続ける営みとして受け取れるのではないでしょうか。
-
小松理虔(2021)『新復興論 増補版』株式会社ゲンロン
-
小松理虔(2025)『小名浜ピープルズ』里山社
-
宍戸常寿(編)・稻谷龍彦・西上治・大河内美紀・見平典(2025)『統治機構Ⅱ(講座立憲主義と憲法学 第5巻)』信山社
-
ドナハラウェイ、Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene, Duke University Press
-
ポッドキャスト「ひらけごみ!」