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Session 6

未来の風土/風土の未来

登壇者

  • 寺田 匡宏

    総合地球環境学研究所 客員教授

  • 赤間 陽子

    RMIT大学スクール・オブ・デザイン 准教授、Designing Entangled Social Innovation in Asia-Pacific 共同リード

  • 水野 大二郎

    京都工芸繊維大学未来デザイン・​工学機構​教授、副機構長

このセッションでは、風土を、動植物や微生物、モノ、さらには機械やAIといった存在にも開かれた、複数的で相互生成的な場として捉えます。その視座に立ちながら、近代の世界観を超えた「人間以後」の風土のあり方を問い、私たちが未来の風土をいかに記述し、創造しうるのかを探る議論が展開されました。

ナラティブとデザイン–––過去と未来の対称性–––

寺田匡宏氏​(総合地球環境学研究所)​はまず、歴史学と風土学の観点から、過去と未来はともに「語り(ナラティブ)」によって立ち上がる対称的な存在であると言いました。哲学者ジョン・マクタガートの「時間の非実在性」が示すように、過去や未来はそれ自体として存在するのではなく、現在において語られることで初めて立ち現れてくるものだとされます。
時間をそのように、現在を起点とする言語的・関係的な構造として捉えると、歴史とは断片的な痕跡から過去を構成する営みだと見えてきます。歴史家カルロ・ギンズブルグの「兆候読解」は、わずかな手がかりから直接には見えない過去を推理する方法ですが、この思考法が未来を描く行為とも深く通じていると寺田氏は言います。未来もまた、いまここにある兆しや関係から編み出されていくものだからです。
ここで重要になるのがデザインです。デザインは、未来についての語りを具体化し、社会に実装していく行為でもあります。未来は予測されるのではなく、ナラティブを通じて設計され、関係のなかで現実化していくものなのです。

風土概念の変遷

続いて寺田氏の話は、風土概念そのものの再検討へと進みました。風土は2000年の歴史を持つ言葉で、東アジアの国々の共通語(リンガ・フランカ)です。もともとは自然環境のことをさしていましたが、時代の変遷とともに、人間と環境、歴史、技術、感性が絡み合う関係の総体として捉え直され、実践的な思想として受け継がれてきました。
日本において風土を哲学的に再定義したのは、和辻哲郎の『風土』でした。和辻は、人間存在を個人ではなく「間柄(あいだがら)」として捉え、人間と自然との相互関係のなかに風土を位置づけました。ここで風土はただの自然環境ではなく、人間の営みと不可分の関係的存在として構想されます。
さらにこの考えに基づき、和辻は、人間がすでに環境の内側に存在している「風土的自己」を提示しました。これは、主観と客観を切り分けるデカルト的自己を乗り越える試みでもあります。自己は見る主体であると同時に、見られる客体でもある。主観と客観は分離されたものではなく、関係のなかで相互に成立するという理解です。あえて描くなら、以下のような図になるのではないかと寺田氏は言いました。

寺田匡宏氏のスライドより

寺田匡宏氏のスライドより

分けないことで浮かび上がるもの–––風土的自己の可能性–––

この発想は、フランスの地理学者オギュスタン・ベルクのメゾロジー(間学)へと受け継がれています。ベルクは、人間と環境の「あいだ」に成立する意味の生成を分析し、風土を動的な関係体系として捉えました。人間と環境を対立させるのではなく、両者のあいだに成立する関係の総体を問い直すこの視座は、気候危機や生物多様性の喪失といった地球規模の課題に直面する今日、あらためて切実な意味を帯びています。
寺田氏は、この「分けない」思考が、近代の二元論のもとで周縁化されてきた領域を再び可視化しうるのではないかと指摘しました。その一つが「ケア」です。公共/私的という分割のなかで、ケアはしばしば家庭や私的領域に押し込められ、社会の中心的価値としては位置づけられてきませんでした。
しかし、風土的自己の立場に立てば、自己はあらかじめ他者や環境との関係のなかに成立する存在です。私たちの身体も思考も、他者、モノ、いきもの、さらには技術との相互作用のなかで生成されています。自己の内部にすでに外界が含まれているという理解に立つとき、ケアは特定の役割や私的な営みにとどまらず、存在そのものを支える実践として再定位されうるのです。

ディスカッション:風土学 in the making–––動的プロセスとしての未来

以上から、風土とは常に「作られつつある(in the making)」動的なプロセスであることが共有されました。ディスカッションでは、赤間陽子氏(RMIT大学)と水野大二郎氏​(京都工芸繊維大学)を交え、関係性のなかにある風土的自己をいかにデザイン実践へと落とし込むかという議論がおこなわれました。
赤間氏は、異なる世界観のあいだをつなぐ装置としての「バウンダリーオブジェクト」の可能性に言及。そして風土という概念や、未来像のイメージそのものが、「バウンダリーオブジェクト」として機能しうるのではないかと問いかけました。さらに、基調講演でサラ・ピンク氏が提唱した「到来予期的インフラストラクチャー(Anticipatory Infrastructures)」 の重要性にも言及し、対話的・交渉的な実践の必要性を強調しました。
水野氏は、近代西洋的な認識論的デザインが持続不可能性を生み出してきたという点に同意したうえで、アルトゥーロ・エスコバルを参照しつつ、存在論的デザインへの転換の意義を確認しました。同時に、分解可能な素材、デジタルファブリケーション、センサー技術などのテクノサイエンスがすでに風土の一部となっている現実を踏まえ、自然回帰ではなく、技術とともに風土を織りなす視点の必要性を提起しました。

こうした問いを受け、寺田氏はAI や人工物の身体性について言及し、生物とは異なる身体をもつ存在との共在可能性を検討しました。また、デカルト的自己と風土的自己を対立させるのではなく、両者をどう統合的に捉えるかが課題であると述べました。さらに、風土という概念が国際的にも共有されつつある背景に触れ、ホリスティックな視座の必要性が示されました。
セッションの終盤には「感応タイム」が設けられました。場を感じて応じるとはどういうことなのか?それを参加者一人ひとりが体験する時間です。般若心境に出てくる「色即是空」(すべてが関係によって成り立ち、単独では存在しない)という考え方の紹介に続いて、各々が場を感じ、応じる静かな時間を過ごしました。

セッションを振り返って

執筆者

高坂葉月

株式会社リ・パブリック

語るほどに未来が確実になる:風土記のススメ

一般には、過去はすでに起こった出来事として確かなものと見なされ、未来はこれから起こるがゆえに不確かなものだと考えられがちだと思います。しかし寺田氏は、この時間観に異を唱えます。過去が「確実」に見えるのは、過去の痕跡にアクセスし、解釈し、語ろうとする人が多いからにほかなりません。一方で、未来の確実性を高めるのは、より多くの人が未来について考え、語り、デザインすることなのだといいます。
この視点に立つと、カンファレンスに先立つ3日間のフィールドワークとアウトプットは、「現代の風土記」を書く試みとして位置づけられます。これは、環境を外側から記述するのではなく、指定されたアングルからその場に起きていることを感じ、応じながら、世界に流れる時間を感じる主体ごとすくい取る営みだったといえるでしょう。語ることによって未来に輪郭を与え、共有された時間として立ち上げていく——それによって、未来は予測されるものから、共につくられるものへと変わっていくのです。

フィールドワークのアウトプット

調心・調息から考える関係性のデザイン

CDW2025全体の設計にあたり、私たちは “attuing” という語を重視してきました。それは、土地には様々な時間が流れており、私たち人間がそこに同調しようとするとき、息づくものの時間に合わせていく態度が必要だと考えていたからです。そしてattuning=調律という訳を使ってきたのですが、フィールドワーク3日目、赤間氏と通訳の中山慶氏のあいだで交わされた attuning の訳をめぐるやりとりが非常に印象的でした。それは、attuningの訳としては「調心・調息」の方がよりしっくりくるという話でした。

「調」という漢字は「ととのえる」という能動的な意味を持つ一方で、「調う(ととのう)」という、より自然にそうなっていく感覚も含んでいます。日本語話者の多くが、おそらく和辻のいうような意味であまり区別していない感覚かもしれませんが、中山氏によると、身が調う、息が整う、といった個人のことから、場が調うといった集合的な感覚まであります。中山氏はこれを、「自分一人ではなく、みんなで整っている。みんなで整い合っている。相手も整い、自分も整い、他者同士と自分同士が溶け合っているような感覚」と説明し、それが attune なのではないかと提案してくれました。

何かの基準、あるいは誰かの「正しい基準」に合わせるのではなく、お互いの中で調っていくーこの、ある種の「動」の感覚は、寺田氏が説明した風土を捉える時の感覚、つまり主観と客観どちらか一方を根源として定めることのできないループの状態の感覚にも通じるものだと思いました。自己と世界が相互に立ち上がるループ的な自己観と響き合うものです。
5日間の経験の最後に寺田氏の話をお聞きし、これが、アジア的思想の根底にあるものなのかもしれないと考えました。本セッションは、CDW全体を通じて私たちが模索してきた「関係性のデザイン」を、身体感覚のレベルから捉え直す時間だったように思います。

さらに深掘りする

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エスコバル,A.(2024)『多元世界に向けたデザイン–––ラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』増井エドワード・緒方胤浩・奥田宥聡・小野里琢久・ハフマン恵真・林佑樹・宮本瑞基(訳),水野大二郎・水内智英・森田敦郎・神崎隼人(監訳),ビー・エヌ・エヌ.(原著:Escobar, A. (2018). Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Autonomy, and the Making of Worlds. Duke University Press.)

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ギンズブルグ,C.(1989)「兆候のパラダイム」上村忠男ほか(訳)『神話・エンブレム・徴候–––形象の解釈学』所収,みすず書房.(原著:Ginzburg, C. (1979). Spie: Radici di un paradigma indiziario.)

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寺田 匡宏(編)(2025)『フューチャー風土–––ひと、いきもの、思考する機械が共存在する未来』京都大学学術出版会.

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ベルク,A.(1992)『風土の日本–––自然と文化の通態』篠田勝英(訳),ちくま学芸文庫,筑摩書房.(原著:Berque, A. (1986). Le sauvage et l’artifice: Les Japonais devant la nature. Gallimard.)

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マクタガート,J. E.(2017)『時間の非実在性』永井均(訳),講談社学術文庫(原著:McTaggart, J. E. (1908). “The Unreality of Time.” Mind, 17, 457–474.)

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和辻 哲郎(1935)『風土』岩波書店.(岩波文庫版,1979年)