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Session 1

近代的時間意識を超えて

登壇者

  • 若林 恵

    黒鳥社 コンテンツディレクター・自由研究員

  • 赤間 陽子

    RMIT大学スクール・オブ・デザイン 准教授、Designing Entangled Social Innovation in Asia-Pacific 共同リード

  • 水野 大二郎

    京都工芸繊維大学未来デザイン・​工学機構​教授、副機構長

  • 田村 大(モデレーター)

    株式会社リ・パブリック 共同代表

持続可能な営みの循環を生み出すため、時間意識、特に西洋的・近代的な時間意識の見直しが求められています。単線的で未来に向けた一方向的な時間意識やリニアな進歩観を批判する言説としては、ティム・インゴルドの「世代」についての議論や、宮本常一が明らかにした村落共同体の営みなどが参照できます。本セッションでは、このような近代的時間意識を超えたいくつかの議論を参照しながら、供養やコモンズの実践を通じた持続可能な循環の可能性を探る対話が行われました。

中世的想像力の回帰

私たちの想像力はすでにテクノロジーによって社会全体が中央集権的に統合されるSF的な未来像から離れ、「新しい中世」と呼ばれるカオスな秩序へと移行していると若林恵氏​(黒鳥社)​は語ります。実際、鬼滅の刃や呪術廻戦といったアニメ作品が示すように、人々の想像力を刺激しているのは宇宙船ではなく、ポータル、魔剣、妖怪といった中世的モチーフです。ゲームの多くが中世を舞台とし、子どもたちはマインクラフトを通じてドラゴンなど呪術的世界観に親しんでいます。デジタル技術やAIは断片化された多中心的なネットワークを再構築する力として作用し、マスメディアの情報統制は崩壊し、周縁の噂話が中心へ流入することが構造的に不可避となっているのです。
こうした想像力の転換は、現代社会が抱える矛盾を浮き彫りにします。私たちは循環経済への移行など、近代からの離脱を目指すべきだと語ります。ところが実際の社会では、その離脱はすでに進行しています。識字率の低下、ニュースメディアのポッドキャストへの移行、陰謀論の氾濫、政治のファンダム化など、現代社会で見られる様々な変化は近代的秩序の崩壊を示すシグナルであり、同時に避けることのできない構造変化でもあります。それにもかかわらず、多くの人々はこうした変化を「解決すべき問題」として捉え、近代へ戻ろうとしています。私たちはこの根本的な矛盾に目を向け、価値観を根本的に変える必要があるのではないかと若林氏は問いかけます。

若林 恵氏

若林 恵氏

道具との呪術的関係

呪術的世界観は、人間と道具の関係性にも表れていると若林氏は続けます。道具の中にはもともと呪物としてつくられ、後に実用化されたものが多く存在します。歴史学者・民俗学者の高取正夫や歴史学者の網野善彦が言及しているような「他人のお茶碗やお箸は使ってはいけない気がする」「女性がへそくりを裁縫箱に隠す」という日本人独特の感覚は、ものに個人性とそれに伴う不可侵領域があるという、道具を一種の呪物ととらえていることを示しています。田村大氏​(株式会社リ・パブリック)​は、CDW2025のフィールドワークでの体験を重ね合わせ、「包丁を研ぐ」という行為が人間と道具の関係性を再構築し、マインドフルなケアを育む新たな価値を生みだすものであったと振り返ります。

共同体における「寄り合い」的な合意形成

つづいて、近代とは異なる時間意識を持つ営みとして「寄り合い」での合意形成が話題にあげられます。宮本常一が描いた村落共同体の合意形成の場である寄り合いは、近代的な会議とは根本的に異なります。近代化によって導入されてきた時計と文字は「アジェンダ」や「問題解決」という考え方を定着させ、迅速で合理的な合意形成が良いものとしてきました。しかし「寄り合い」では、場合によっては三日三晩続く話し合いの中で人々の経験が共有され、話題の脱線と回帰を繰り返しながらゆるやかに合意に至ります。そこには、明日からも同じ人々と隣り合って暮らすという関係性への配慮や、完全な合意を目指さない態度など、根本的に近代と異なる前提が存在します。

若林 恵氏

若林 恵氏

ディスカッション

後半のディスカッションでは、水野大二郎氏​(京都工芸繊維大学)​と赤間陽子氏(RMIT大学)が加わり、近代的な時間意識を超えた「実践」の在り方を探ります。水野氏はSFプロトタイピングの限界を指摘し、「ここでもなく、いまでもない(Not Here, Not Now)」という発想の起点に、中世的・魔術的なものを参照する重要性を語ります。赤間氏は、幼少期に読んだ日本昔話の記憶や妖怪への畏怖による「怖い」「ダメ」という直観が現代の方法論としても重要なのではないかと話します。
若林氏は、図書館へ行くという行為を知の墓参りととらえる考え方や、花屋による花供養の取り組みを紹介し、永遠の命を求め延命的行為を続けることによる「ゾンビ化」を防ぐ重要性を強調します。世代を超えて知や関係性を継承していくには、死を受け入れる「供養」的な儀礼と再生や循環を生み出すサイクルの設計が必要であるという議論が展開されました。このような議論をふまえて赤間氏からは、近代的感覚を超えた「実践(Practice)」に私たちが移行するためには「練習(Practise)」を体験するための場を設計、運営する必要があるのではないかと語りました。
セッションの最後には、アーカイブと呪術の関係性について語られました。現代社会におけるインターネットのような世界におけるアーカイブでは、過去が過去にならず常に現在に漂っているような感覚があると若林氏は語ります。そこで、本セッションで取り上げられた「呪う」「(幽霊として)取り憑く」といった感覚で過去や想像の世界が不意に現在に差し込まれていく方向性もあるのではないか、という問いかけがなされてセッションは幕を閉じました。

セッションを振り返って

執筆者

岡本晋

一般社団法人monlon

このセッションでは、中世的な想像力、道具と呪術の関係、寄り合いにおける合意形成など幅広い領域に話題が広がり、現代社会において私たちがすでにともに在る「近代的時間意識を超えた存在」に気づくヒントが示されました。その中でも、会場参加者の関心を強く惹きつけたハイライトを二つ取り上げます。
一つ目は、「SF的想像力と中世的想像力の対比」です。SFプロトタイピングや未来洞察といった手法は、第二次世界大戦以降の企業経営や商品開発、政策立案等幅広い領域で有用とされ、デザイナーにとっても馴染み深いものとなってきました。しかし、このように現在を起点として未来を一方向的に見る近代的(西洋的)時間意識を、日本人の感覚や近代以前の生活史に当てはめてみると、何か違和感があるのではないでしょうか。若林氏が紹介した「妖怪」「呪術」「幽霊」といった言葉は、その違和感の正体を探る洞察を参加者に与えていました。
二つ目は「アーカイブ」を「お墓」ととらえるメタファーです。複数の参加者からこの点について質問が投げかけられ、議論が多方向に発展しました。例えば、このメタファーを近代的、西洋的な世界観から切り離して考えるためには、お墓を過去のすでに死んでいる存在と位置付けるのではなく、生きているお墓ととらえることができるかもしれません。これは、日本人がお盆や墓参りなどの習慣をつうじて祖先と対話しようとする感覚など、未だ十分に言語化されていない感覚が内在しているからこそ、まだまだ概念的な発展可能性を秘めているかもしれません。また、実践のヒントとしてこのメタファーをとらえる議論では、図書館に行くことをお墓参りととらえる考え方は面白いが、これを図書館の設計・運営要件として考えるとどのような可能性があるのか、という論点が提示されました。この点については、明確な方向性が示されたわけではなく、参加者それぞれのフィールドにおける実践への応用可能性として問いが投げかけられる形となりました。
日本人の時間・空間感覚を論じた加藤(2007)によると、日本人の現代生活における時間感覚を表すモデルは、始まりも終わりもない直線的なモデルや循環的なモデル、始まりと終わりがあるモデルなど様々な感覚が入り混じったものであるといわれており、この雑種的な要素こそが日本人の生活リズムや感覚を形成すると言われています。このような前提をふまえると、CDW2025で中世から続く営みと現代的な生活が交錯する伏見や長浜、亀岡でのフィールドワークを通して「近代的時間意識を超えた存在」に着目したことには必然性を感じさせます。私たちがここで得た視点は、近代以前の戻りたい過去や未来のオルタナティブではなく、「いまここ」にも取り入れられる視点として、参加者それぞれが自らのフィールドで日々の実践に生かしていくことが期待されます。

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