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Fieldwork Day 2

亀岡

京都府中西部に位置する亀岡市は、古くから「口丹波」と呼ばれ、都へとつながる結節点の役割を果たしてきました。この土地の風土を形づくっているのは、低山に囲まれた亀岡盆地と、そこを潤す保津川の水系です。 亀岡盆地は、遠い昔には「丹の湖(にのうみ)」という広大な湖であったと伝えられています。出雲神話の時代、大国主命(おおくにぬしのみこと)がこの湖を切り拓いて保津川を通したという、国づくりの伝承が残っています。保津峡の入口、その両岸に立つ「桑田神社」と「請田(うけた)神社」は、開墾の際に「鍬(くわ)」を「受けた」という故事に由来するといいます。かつて湖底であったこの地は、水が引いたあと、類を見ないほど肥沃な大地となりました。弥生期以来の稲作の歴史が示すように、この豊かな水を引き、蓄え、分かち合う営みそのものが、亀岡のインフラでした。現在も、肥沃な土壌を活かした米や聖護院大根、丹波くりといった京野菜などの栽培が盛んで、市を挙げたオーガニック農業への取り組みなど、自然と共にある土地のあり方が模索されています。亀岡は、風土そのものが生きたインフラとして働き、人の営みと結びつきながら、今も更新され続けている地域だといえるでしょう。

深い朝靄に包まれた亀岡

深い朝靄に包まれた亀岡

時の積層を抜けて –––時代を超えて亀岡の生活を支えるインフラとしての保津川

プログラム二日目。亀岡でのフィールドワークは、現地へ辿り着く前から始まっていました。私たちは、初日、伏見で見学させていただいた「お火焚き祭」よろしく、近代の「時計時間(クロノス)」から距離を置く「玄関メソドロジー」として、京都嵯峨野で嵯峨野トロッコ列車に乗り込みました。この鉄道は、明治32年に開通した旧京都鉄道が前身。1989年の山陰本線複線化に伴い廃線となりましたが、翌年に観光鉄道として息を吹き返しました。あえてJRではなくトロッコ列車を選んだのは、保津川や保津峡に流れる「もう一つの時間」を身体に刻むためでした。
断崖を縫うように走る列車の窓から冷たい風が入り込み、眼下には、陽光に透けるエメラルドグリーンの保津川が流れています。ガタンゴトンという響きに身を任せていると、景色がゆっくりと過去へ遡っていくような錯覚に陥ります。この川は、かつては都を支える物流の動脈でした。古くは平城京造営の折、丹波の木材を筏(いかだ)に組んで流したといいます。江戸時代には豪商・角倉了以が、多額の私財(現在の金額にするとおよそ約150億円)を投じて川床を削る大工事を行いました。これによって筏だけでなく船の通航が可能になり、亀岡の米や野菜が京の都へ安定して運ばれるようになったのです。ちなみに、下った船を戻すには、船頭たちが山道を歩いて船を曳き揚げたというから、その労苦は現代社会を生きる私たちには想像だにできません。明治に入り鉄道が開通すると、物流の主役は陸路へと移り、代わって保津川は「観光」のインフラへと姿を変えました。1895年(明治28年)頃から本格化した遊船下りは、英国皇太子時代のジョージ5世やエドワード8世といった貴賓を次々に迎え、その渓谷美は世界に知られることとなりました。
「風土」と「インフラ」。木材を運ぶ水路が、食を運ぶ運河となり、やがて美を愛でる観光資源へと変遷しました。役割を変えながらも、この地の人々の暮らしを支え続けてきたのは、変わることのない保津川の険しくも豊かな流れです。思いを馳せているうちに、列車は最後のトンネルを抜け、目の前には、亀岡特有の深い霧が白く広がっていました。

嵯峨野トロッコ列車の車内から見える保津峡の美しい景色

二億五千万年の砥石が結ぶ日本の自然と文化と技術

亀岡駅に降り立った私たちは、朝靄の山道をバスで登り、天然砥石館を訪ねました。亀岡は、刃物の最終仕上げに欠かせない「仕上げ砥」の天然砥石が産出される世界でも稀な地域です。特に亀岡は中砥と仕上げ砥の両方を産し、その地層は約二億五千万年前の海底堆積物にまで遡ります。日本列島が四つのプレートの境界に位置するという地質学的な特異性が、この地に硬い珪質粘土岩を隆起させ、世界に類を見ない微細な粒子構造を持つ「砥石の聖地」を形作ったのです。

館内に積み上げられた多種多様な天然砥石たち

田中館長の導きで、私たちは今年のプログラムのために設計した「感応メソッド」に基づいたワークショップに臨みました。日本刀の重みを掌に感じ、鉋(かんな)で木を削り、五感を研ぎ澄ませます。天然砥石を用いた研ぎ体験では、刃を15度に保ち、角度を変えずに前後させ続けます。研ぐ場所に指先を置き、力を少し加えながら、刃と砥石が擦れ合う感覚に集中します。音と感触が身体に響き、やがて刃物の輝きとして現れます。研ぐという行為は、手間と時間を要します。しかしその静かな時間の中で、人は道具と、そして大地と対話できるのであり、二億五千万年という悠久の時を経て手の中に収まった石に触れることは、自分という存在が地球の一部であることを思い出させてくれます。近代以降、私たちは「研ぐ」という日常を失いつつあります。それは単に物を大切にしなくなったという以上に、大地や先祖とのつながりを断ち切ってきたことを意味するのではないでしょうか。CDWが探求するアジア太平洋地域独自の「サーキュラー」を構想するにあたり、それは単なる物質循環の機械的な操作にとどまるものではなく、むしろ風土との深い結びつきに根ざしたものであるべきだと気づかされました。

天然砥石での研ぎ体験の様子

田中館長は、砥石は「日本の自然、文化、技術の結節点」だと言います。かつて鉄資源が乏しかった日本において、砂鉄から精錬された鉄を永く大切に使い続けるために、精緻な研ぎの文化が発達し、それが和食の繊細な包丁さばきを生み、宮大工の精巧な建築を支えてきました。亀岡の砥石は、単なる道具ではありません。二億五千万年の時を超えて、私たちの文化の底に横たわる「精神のインフラ」そのものだといえます。

天然砥石で研がれた包丁で野菜を切る体験。刃がすっと入り、素材の旨みを壊さない

「忘れられてきたモノ」と向き合い直す

天然砥石館を後にした私たちは、南丹清掃おむつリサイクルセンターを訪ねました。ここでは、使用済みおむつを高品質なパルプやプラスチックへと再生する技術開発が進められています。株式会社ごみの学校を立ち上げ、この技術開発にも深く関わる寺井正幸さんによれば、亀岡市の可燃ごみの約8%を、水分を含み燃えにくい紙おむつが占めているそうです。超高齢社会を迎え、この割合は今後さらに大きくなることが予想されます。紙おむつは高品質なパルプ・プラスチック・高吸水性樹脂の三層構造。寺井さんが「原理的には大きな洗濯機」と説明する機械に、水と薬剤を投入し、紙おむつを熱しながら回転させることで、材料を洗浄・殺菌すると同時に、回転の衝撃により粉砕し、パルプと樹脂が溶け込んだ水とプラスチックの破片に分けます。こうすることで、これまで焼却処理するほかなかった使用済みの紙おむつはパルプ原料とプラスチック資源へと生まれ変わります。(なお、このプロセスで回収される高吸水性樹脂については現在また別の資源化の方法を検討しているとのこと。)

リサイクルセンター内にて寺井正幸さんよりお話を伺う

そもそも「便」という字には、「支障がなく都合がよい」という意味があり、排泄物を指す用例として古くは中国の古典にも見られます。江戸時代、糞尿は肥料として売り買いされる立派な資源でした。対して現代の私たちは、排泄物をただ「汚物」として、流した瞬間に思考から消し去ってしまいます。哲学者ティモシー・モートンが説くように、本来「こちら側=システムの内部」と「あちら側=システムの外部」に境界などありません。家の前に出したゴミも、トイレで流したものも、決して消えてなくなるわけではありません。おむつのリサイクルは、近代化の波の中で「忘れられてきたモノ」を再び社会の循環の中へ取り込む試みだと言えるでしょう。

臭気対策が施され、回収され積み上げられるおむつたち

身体と物質の結び目に立ち上がる「共同的なもの」

保津川下りの歴史を生き生きと伝える豊田知八さん

亀岡でのフィールドワークでお迎えした最後の語り部は、保津川遊船企業組合の豊田知八さん。時代とともに物流から観光へと役割を変えてきたこの川を、江戸の角倉了以以来、船頭たちは川床の整備から道具の制作までを自らの手で担ってきたと豊田さんは話します。船を繋ぐ縄さえ、シュロの皮を剥ぎ、船頭たちが自ら綯(な)うんだと笑顔を交えて、こともなげに言います。
「では皆さんで縄を綯ってみましょう。」
豊田さんはデモンストレーションとして、二本のビニール紐をいとも簡単に綯い始め、瞬く間に一本の頑丈な縄をつくり上げました。その無駄のない手さばきに触発され、参加者も見よう見まねで綯い始めますが、これが実に難しい。何人かは次第にコツをつかみましたが、手のひらのずらし方がわずかに狂うだけで、紐はすぐに解けてしまいます。

縄の綯い方を披露する豊田さん

「身体知、ここに極まれり!」 — そう感じた瞬間、ある気づきが頭に浮かびました。この身体知は、はたして豊田さん個人のものなのだろうか。より正確に言えば、それは豊田さんの身体に宿りながらも、亀岡の大地、そして歴代の船頭たちに開かれている「状況化された知識(situated knowledge)」なのではないか。天候ひとつで変化する川床の機微を見抜き、石を抜き、岩を動かし、必要な道具があれば自らつくる。その一つひとつが、世代を超えて継承されてきた身体知の営みです。こうした途方もないメンテナンスの継続を通じて、船頭たちは保津川とその周囲の土地との関係を絶えず構築し直しているのだと感じました。
土地やものとの関係を結び直す機会は、船頭ではない私たちにも開かれています。それは、例えば「包丁を研ぐ」「縄を綯う」といったような、人間が幾世代にもわたって繰り返してきた、身体性と物質性が絡まり合う日常的な営みのうちに見出すことができます。そうした営みの一つひとつが風土と連なり、先祖と子孫を含めた「共同的なもの」への編入を可能にする — 何億年、何百万年、あるいは何百年という異なる時間軸が、今この瞬間と共にある亀岡という地で過ごしたことで、そのことをあらためて見つめ直すことができました。

執筆者

小山田詩乃、増井尊久

株式会社リ・パブリック

お世話に​なった​方​々

※フィールドワークでの​登場順

  • 並河杏奈さん

    一般社団法人Fogin 現地コーディネーター

  • 田中亜紀さん

    天然砥石館館長

  • えみこさん​

    天然砥石館スタッフ

  • 寺井正幸さん

    株式会社ごみの学校 代表

  • 豊田知八さん

    保津川遊船企業組合 代表理事

  • 髙橋慎也さん

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