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コラム 2
マイクロバスで黒田の集落に到着したフィールドワークの一行は、黒田安念寺の観音堂に至る坂道を静かに登っていきました。ここ黒田の集落には、いも観音と呼ばれる戦国の戦乱を逃れ地中に隠されたことから、在りし日の姿を留めぬほどの形となった観音像が安置されています。観音堂に至る道は細く、両脇を杉の大木がそびえ、一行は参道の先にある小さな観音堂を目指したのでした。

長浜のフィールドワークで訪れた黒田安念寺観音堂へと続く道
今回の長浜フィールドワークのハイライトの一つはまさにこの観音堂を訪れた時でした。私は、黒田の集落からほど近い集落に生まれ育ち、観音堂をはじめとした前近代の伝統文化に囲まれて高校生までこの地で過ごしました。東京に移り住んでからも、時を見て東京の知人と観音堂を訪れることもしばしばありました。今回、フィールドワークに参加された数十人の皆さんと観音堂の前に集った時、何かこれまでとは異なる感覚を覚えたのです。
これまで個人、あるいは多くても数人のグループで訪れた時の感覚と、数十人もの集団でこの地を訪れた時の感覚は明確に異なるものでした。小さなお堂には十分に人が入り切らず、集団は2つのグループに分かれて順にお堂に入りました。お堂に入って、在りし日の姿を失って見方によっては痛々しくもあるいも観音の姿を前に話しを聞く人々と、お堂の前で木々から漏れる光と風のゆらぎによる木立の音に包まれて時間を過ごす人々。一つの場がつくる空間と時間を集団で感応する、コレクティブセンシングとでも言える情景が目の前に広がっていたのです。

黒田安念寺観音堂にて、ガイドの對馬さんが解説を行う様子
民俗学者の宮本常一の代表作『忘れられた日本人』の冒頭に、ある集落に伝わる古文書を見せてくれないかと古老に聞いたところ、話し合いで決めるのでしばらく待ってくれと言われたという話があります。前近代の日本の集落では、こうした寄り合いによる集合的意思決定が日常的に行われていました。今回のフィールドワークの対象となった滋賀県長浜地域には、「おこない」と呼ばれる年に一度の神事が各村々に伝わっています。集落ごとに決められた毎年2月頃のある日に村中から家を代表する戸長が一つの場所に集い、神事を執り行います。年に1度決められた日に場を共にし、共に感じ取り、集団としての結束を強くする機会でもあります。ここでもまた集団で感応することが一つの所作となっています。
今回のフィールドワークでは、ビジュアル/センサリーエスノグラフィと、参加型デザイン、儒教の知見を交えた「感応」という手法が用いられました。感応によるフィールドワークは、前近代の先人たちが培った集合性によって、その可能性を開花させたように見えたのです。今回のフィールドワークにおいて設定されたMaker、Watcher、Askerという参加者個別の役割は、集団で感応するための一つ装置として機能していました。「おこない」のような集落の神事においても、役割は重要な概念の一つです。参加者が与えられた役割を担うことで過去から連続する儀礼の形式を未来につなげることができるのです。
今回のフィールドワークにおけるもう一つのアプローチはクロノスとカイロスという2つの時間の捉え方でした。近代の象徴である絶対的な時計時間であるクロノスを離れ、様々な関係性の中で立ち上がる多元的時間であるカイロスに認識の主軸が置かれました。近代では、合理的な個の存在が強調されてきました。一方、今回のフィールドワークでは、与えられた役割のもと集団の関係性を通じて感応する前近代的な主体のあり方が実践されていたようにも見えます。
サーキュラーデザインにおけるこうした関係性の中で集合的に成立する主体の意義とはどういったものでしょうか。サーキュラーエコノミーの対義的な概念であるリニアエコノミーとは、資源を加工して製品を生産し、消費して廃棄するという近代工業化社会が成立させた社会の仕組みが前提となっています。一方、サーキュラーデザインでは、世界を多元的な存在の集合として捉えるシステム思考的な考えが求められます。こうしたアプローチには、今回のフィールドワークを通じてその片鱗を感じ取ることができた前近代的な主体のあり方が参考になります。集団で場と時間を共にし、役割に応じて世界との接点を持つことで、集合的な感応が可能になることが今回のフィールドワークの成果の一つだったと思います。
京都でのワークショップでは、集団で見聞きしたものを集団のアウトプットとしてブックレットを制作しました。見聞きしたものを個人に蓄積するのではなく、集合的に感じたものを集合的なアウトプットとして表現することは、まさに近代的な個のあり方への批判的アプローチだと捉えることができるでしょう。集合的アウトプットは多元的な意味を内包しながら、それらを見た人々に次の集合的感応を促すことにつながっているのです。

CDW3日目、京都工業繊維大学でのワークショップで制作したブックレット
私自身、前近代の気配が色濃く残る長浜の環境で生まれ育ちつつ、青年期以降は東京の近代工業化社会の中で過ごしていて、この二つの世界が日本において共存していることの不思議さを長年感じていました。前近代的な社会は近代の合理主義に駆逐されてしまうのだろうか、どこかに前近代的な社会と現代的な社会の折り合いを付ける道筋は無いのだろうかという思いを、二つの世界を行き来する中で常に感じていました。
今回のCDWにおいて、その問いに少しばかり光明が差したように感じます。長浜のフィールドを近代的な個の主体で見るのではなく、集合的な主体を通じて感応すること、そして多元的な解釈が可能なアウトプットで表現すること、こうした実践を通じて、二つの世界が統合される可能性を感じました。そしてその実践が、サーキュラーデザインという工業化社会のエラーを繕い直す活動に繋がっていったことが今回のフィールドワークの大きな成果となりました。

CDW2日目、長浜でのフィールドワークの起点となった長浜市・木ノ本駅前の様子
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Ingold, T. (2015). The life of lines. Routledge.
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宮本 常一(1984)『忘れられた日本人』岩波書店
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Pink, S. (2015). Doing sensory ethnography (2nd ed.). SAGE Publications.